2010年4月11日日曜日

新春チャレンジカップ Road to 八ヶ岳 2010 往路編

road to Yatsugatake 2010が開催されました。

【10日:往路】

自走チームは20号~高尾~大垂水峠~相模湖~大月~新笹子トンネル~韮崎から県道17号~小淵沢で県道11号~宿というルート。メンバーは、tanyさん、K沢さん、M田さん、A木さん、H泉さん、N島さんと僕の7名。順番はtanyさん以外はその都度変わりました。輪行チームは中央本線で高尾から甲斐大和まで。メンバーはピッコロさん、Sさん、A斎さん、H原さん、K関さん、K山さんの6名。


4月3日に一人で梁川まで走っていたことで道の雰囲気や癖がわかっていたので20号はそれほど大変ではありませんでした。小さなアップダウンが繰り返されて、徐々に標高が上がってきたなと実感する程度。笹子川が見えると厚い雲に覆われてどんよりとした雰囲気に変わり雨が降らなければいいが、と願う分気力が失われます。それでも常に僕らをアシストしてくれるtanyさんがいてくれたので何より心強かったです。


H泉さんが大月から電車に乗るといっていたけど、どうにか頑張ることができたようでトンネルをくぐることになりました。但し、トンネルは長いので7人並ぶのは危険と考えて、4人と3人に分かれて出発です。僕は先導の4人のアンカーで3キロの新笹子トンネルに突入です。ブログやホームページなどに書かれていた噂のトンネル。ちょっと登って…と書かれていたような気がしますが、ずっと下りでした。中はオレンジ色のライトが天井にたくさんついているので明るさは十分あるけれど、歩道のスペースがほとんどなく、車線もかなり狭く作られているので自転車をよけて行く車がとても怖かった。わずか3kmで甲斐大和まで行けるのでかなりの短縮ではあるけれど、時間もかかり多少疲れたとしても笹子峠を登るルートも十分ありだと思う。tanyさんのブログにも書いてあったけれど、僕なんかよりもどんなに速く走れる人であってもトンネルは怖い場所なのだ。


トンネルを抜けると右手に道の駅甲斐大和がある。ここで後続の3人と合流する。自転車を立てかけているとすぐに後続がやってきた。トンネルの手前で遅れていたH泉さんだったが、それほど差がなかったようで安心した。合流をしたのでS藤さんに連絡をしてみると、甲府市内に入ったところだった。距離にして1時間程の差だろうと。


道の駅から甲府市内まではずっと下り坂。これまでの人生でこれほど長い下り坂を走ったことはなかった。風張峠からの下り坂もなかなか長いが山特有の曲がった道ばかりで眺望はけっしてよいとは言えない。しかし、この道は上の方からすでに街が見えている。沿道に咲く桜の下を通り、ゆるやかに曲がった下り坂をノンストップで駆け下りて行く。トンネルをくぐる前はどんよりとしていて天候が気になっていたが、トンネルを抜けてからとても晴れていて気持ちがどんどん高ぶってくる。トンネルまでのだらだらとした20号の上りの鬱憤を晴らすように坂を下りながら解放感に浸っているようだった。


下り坂は楽だが、急勾配や長すぎるとどうしても恐怖感がある。昨年秋に和田峠で落車したT中さんのことを思い出してしまうからだ。いつまで続くのだろうか、身体が徐々にこわばっていくのが感じられた。天気もよく、皆楽しそうに下っている姿と対照的に自分はおびえていた。シフトレバーを強く握り肩にも力が入ってしまう。下り坂の疲れが見えてきた頃、右手に山が見えた。麓だけに雲間からの光が差していて家々が輝いて見えた。学生の頃、ゼミ合宿で行った山中湖の対岸に見た景色と似ていた。突然呼び戻された懐かしい記憶と目の前の美しさが自転車に乗る楽しさを理由付けるには相応しいと思った。疲れていても美しい景色には敵わない。一瞬で気持ちが昂る。絶景と思える景色をカメラに納めたかったが、後ろに続くメンバーがいたことや初めての道だったためにその先にどれほど過酷なコースが待っているのかという不安もあり、撮るタイミングを失った。しかし、忘れることのできない景色は目に焼きついていた。


更に下って行くと左側にピンクに色づいた大量の桃の花が僕らを迎えてくれた。ピンクはA-tripleCのジャージと同じだ。疲れや不安を感じている時にこそこういうこじつけができるかが一つの気分転換のスキルだと思っている。桃の花は真っ青の空の下、笑っているようにさえ思えた。今日は絶対に完走できる、と疲れを吹き飛ばすような気力が湧いてきた。


今日の昼食は小作双葉バイパス店を予定していた。ところが、双葉バイパスが具体的にどの位置にあるのかを誰もしらなかった為に、いつまで走ってもお店が現れないと感じてきていた。Sさんの話ではバイパス沿いにあるからわかるということだったが、石和を過ぎ、竜王を過ぎても一向にお店に到着しないため、N島さんはすでに疲れを見せていた。ひとまず駐車スペースが広くとられていたコンビニで止まることにした。Sさんに電話をしている最中に、tanyさんが携帯で検索。すると、目的だった小作のわずか500m手前にいることが知る。M田さんが我先に出発したのでSさんと会話の途中で電話を切り、皆の後を追った。H泉さんも疲れを見せていたが、リアはまだ3枚以上残してあった。


お店に到着すると自転車が並べてある。SさんやH原さんが外にその傍にいた。ようやく追いついた。一緒に食事をして、ここから全員でトレインを作って走れるのかと期待したが、そのときには輪行チームはすでに昼食を食べた後だった。店の中に入るとA斎さんが席をとっておいてくれた。入れ替わり食べつくされた皿の置かれたテーブルの前に座り、メニューを手に取った。


自走チームのほとんどのメンバーがほうとうを食べた。天気も回復し、日差しも強まりやや暑さを感じていたところでアツアツのほうとうというのはどうだろう。別のメニューでもよかったかもと思う。味はおいしかった。豚肉入りのほうとう1300円。鍋の取っ手も金属で作られているためどうにも動かせない。店員さんが棒にひっかけてもってくるだけある。それなのにどうしても鍋の位置をずらしたくて思わず手を触れて驚いた。皆が笑う。tanyさんは唯一ごはんものを頼んでいた。店員さんが運んできた際にごはんはおかわり自由と一言。それを知っていて頼んだのだろうか。ほうとうはお腹いっぱいになった。塩分もかなり補えたと思う。ただ、炭水化物が少なく思えた。この小作から宿まで残り40kmの上りが楽だとは誰も予想はしていない。にもかかわらず、ほうとうの麺はそれほど多くはなく、汁を飲んで空腹は満たされたがエネルギー不足になりそうな予感があった。この昼食場所までを長く感じていたメンバーは、ほぼエネルギー切れ寸前だっただろう。この炭水化物量ではここまでの消費分を補えてもこの後の登りを耐え切るには不十分に思えた。どんなに優れたレーサーであっても寝不足とエネルギー不足には耐えられない。彼らもこまめに摂る大切さを知ったに違いない。この後の登りで彼らが苦戦を強いられたことは言うまでもない。


昼食を食べ終え、まず最初にスタートしたのはH泉さんだった。エネルギーを補給して体力が回復したのだろう。その後、A木さんが続き、安心して背中を追うことにした。信号待ちですぐに追いついてしまい、そこからはA木さんがアシストを担う。おそらく初アシストだったろうと思う。時速は30km程度で快調な滑り出し。ただ、出だしの平地であまり勢いよく走ってしまうと登りが始まった瞬間の減速が、自分は不調なのではないかという自己暗示をかけやすくする。昼食後のスタートは油断しやすい落とし穴の一つである。韮崎近くの武田橋北詰を右折し、突き当たりを左へ曲がると目の前に勾配が見える。斜度表示は記憶にはないが、おそらく10%近いところもあったと思う。小さなループ状になっていて、ここから列が乱れ始めた。一周下にN島さんの姿が見えた。A木さんがちぎれ、tanyさんとM田さんがトップに躍り出た。続くのはK沢さんだ。ループを超えて一旦平地に出たところですでに一人旅は始まっていた。少しの間は3人の姿が確認できたが、アップダウンが繰り返されてまもなく背中が見えなくなった。何度も道を上下する。距離感がわからなくなってくる。事前に地図で調べていたが、一駅の区間はたいした距離はないはずだった。なのに、何時間も走っているような錯覚を感じるほど疲れはピークを迎えていた。先の見えない頂上まで登りつめると下った先にさらに登りが見える。その繰り返しだった。気温もあがり、水分を頻繁に摂るようになっていた。


どの駅だったか覚えていない。おそらく日野春駅だろうか。ちょうど立川行きの電車が止まっていた。K沢さんの背中が一瞬見えたが、道路工事のために片側通行になっていて警備員に指示に従い、完全に開いてしまった。もう姿は見えない。駅を過ぎてまもなく目の前に白いジャージを着た男性が立っていた。ピッコロさんだ。ヤマザキデイリーストアで輪行チームが全員休憩をしていた。ようやく追いついた。ピッコロさんががんばれーと声をかけてくれた。一瞬そこで休憩に加わろうとも思ったが声援を受けると足を止めるわけにはいかない。俄然やる気が湧いてきた。だが、輪行チームは我々よりも走行距離が短く、体力が残っているはずなのにその場所にいるのだから、そこから先でどれほど苦しめられるか想像は容易い。応援を受けた背中で無言の声援をおくった。


ピッコロさんの声援が耳奥でこだまする。まだ立ち止まってはいけない。誰もみていなくてもここで降りてはいけないんだ、自分を鼓舞しペダルを回し続けていった。気温の上昇と回し続ける身体からの放熱が相乗して水分が奪われる。水を何度も飲む。目の前にローソンが見えた。通りすがりに店舗の周囲に目をやるとロードのハンドルが駐車中の車の間から見えた。おそらくK沢さんだろうと思った。飲み物を補給するのもよいが、まだ限界ではなかった。休憩する気はおこらなかった。そのままローソンを過ぎてゆるやかな坂を下ると、工事の看板と行き先を示す簡易標識が置かれていた。Sさんの話していた長坂駅手前の道を間違える可能性のある場所のことだった。一旦立ち止まり、用意されたしおりを何度も確認する。まもなく追いついてきたK沢さんと確認して先に進む。ゆるやかに曲がった坂を登っていき、ヘアピンカーブを曲がる。通ってきた道を見下ろすとなかなかの高低差がある。風張峠の奥多摩周遊道路入口から見えるZ坂から見下ろした景色と似ていた。いくらか平坦になったところで自動販売機を見つけたので水分を補うために着地。K沢さんに先を譲り、ダイドーの海洋深層水を購入した。ねじったような歪な形をしたボトル。取り出し口から取り出し、ボトルをつかむと手のひらにほどよい刺激があった。自動販売機から15mほど後ろにはこちらに背中を向け、手ぬぐいを頭にかぶった老婆が草むしりをしていた。


地図上で生涯学習センター前と記された地点に着いた。もうK沢さんの姿は見えない。しおりどおりではまっすぐ進むようになっているが、明らかに下り坂だ。ここまでじわりじわりと登ってきた道を再び下らせるとはかなりしつこいコースである。なにしろ下った先に宿があるならともかく、宿はここから300m以上も高い場所にあるのだ。しかし、初めての場所でしおりを無視して道を選んだことでさらなる落とし穴があるかもしれない。ここは黙ってしおりどおりの道を走ることに決めた。どんどん下って行く。しかも宿のある方角とは異なる方へ下りて行く。覚悟を決めた。


松木坂のT字路へ着いたときには相当下りきっていた。ここまで下らせるならもっと手前で曲がってもよかったかもしれないとT字路を曲がった先を登りながら感じていた。しかも、T字路を曲がった先からは白線の内側の路面が割れていて走りにくい。斜度も徐々に勾配が増す。せっかく登ってきた道を下ったのだから仕方のないことではあるが。路面の悪さは無用に体力を奪うため、やむなく歩道を通った。歩道といっても車道との境はとくになく平らである。また、歩行者は誰一人いない。自分のペースを守ってのんびりとあがっていくことができた。


線路の高架下をくぐりぬけると小淵沢インターチェンジが見えた。ゴールも近いと思ったが、実際にはそこから10kmほどあった。インターチェンジを抜けると目の前に先ほどよりもキツい傾斜が待っていた。7~8%程だと思う。ここまですでに180km走ってきた体にこの斜度はキツかった。何か言い訳を見つけて休みたくなった頃、右手にセブンイレブンが見えた。しかし、反対車線へ行くほどの余裕はなく、我慢して登り続けた。すると目の前にローソンが見えた。標高もあがってきて気温が下がってきていることを肌で感じていた。明日、どのようなスタートをするのかわからなかった為、翌朝食べるパンと残り少なくなっていたアクエリアス、野菜ジュースを購入した。野菜ジュースを宿までの最後のエネルギー源として一気に飲み干し同時に気合も胃の中に押し込んだ。坂の上を見ると押し込んだ気合を戻してしまいそうになる。タイヤの少し前辺りを見てゆっくりと坂を登り始めた。右手に道の駅が見えた。反対車線だから誰もいないだろうと思っていた。時速10kmを下回りながらもなんとかもがいていたが、K沢さんの姿が見えたので吸い込まれた。ここで再び休憩することにした。自分よりも強いと思っている人が休んでいると自分も同じことをしてしまう。


道の駅で数分K沢さんと話してから先に出発。再び斜度のある坂を登っていく。クルクルと回したいがどうにも動かない。39-21で回すがケイデンスが30前後にまで落ちる場面もあった。とにかくしんどいがなぜか立ち止まる気は起こらない。ふんばり続けていくと、大平のT字路が見えてきた。後ろを振り返ると、すぐ後ろにK沢さんがやってきていた。道の駅ではもうダメです、と弱音を吐いていたがアレはやはりこちらの気を緩ませるためだったようだ。大平を左折し、少し行くと平地となった。ここから何キロあるかわからないが、ラストスパートをかける素振りをみせ、ダンシングで飛ばした。K沢さんが少し後ろへ遠ざかる。このまま行けば3位でゴールできるかもしれない。甘かった。ここからさらにアップダウンが繰り返され、最初の登りでK沢さんにあっという間に抜かれ、そのまま彼の姿は見えなくなってしまった。自分の行動が彼に火をつけてしまったようだ。完全に離されて追う気力を失った。自分のペースで八ヶ岳山荘までのんびりと走る。敷地内へ入れば問題ないと思われたが、そこからもさらに登らされた。しかも、敷地外までのアップダウンよりも心が折れるほどの斜度があったに違いない。ついにここまできて立ち止まってしまおうか、と思った。疲れで立ち止まることはなかったが、まっすぐ登ってもなぜか山荘を見つけられず、地図を確認するために結局は何度か立ち止まってしまった。道なりに進みゆるやかなカーブを曲がった先に宿があることがわかり、進むと宿の手前に非常に斜度のある登りが見えた。


ここで完全に折れた。目の前に150mほどの、しかもかなり斜度のある坂が続く。まさかこれを登りきらなければ宿につけないのか…。地図でみるとほんのわずかなのに泣きそうになる。禁酒宣言から3週間。目の前の坂を登りきれば、今夜ついに飲めるのだ!ビール飲むぞ!!と自分に言いかせて肉体的な自己犠牲を強いる。登りは大がつくほど苦手だが、それがビールの味をもっとも美味しくさせる最高の隠し味。それを思う存分に味わうためにこんなにも辛い思いをしてきたのだ。必ず登れる。登りきって最高のビールを飲め!もう一人の自分が叱咤する。彼の言うとおりかもしれない。愚直に彼の言葉を信じてペダルを踏んだ。回すレベルはとっくに超えている。わずか100mほどのこの坂があまりにも長く感じる。苦しい。苦しいが、登らなければいけないんだ。練習してきたから登れるんじゃない。登りたいという気持ちが坂を登らせる。どんなに短い坂でも登る気持ちがなければ負けだ。かかとが下がっても構わない。ペダルを渾身の力を振り絞って踏んだ。ケイデンスは35…33…ついには30を下回る。坂の中腹辺りまで来た。もうだめか…右側が急に開いた。宿の入口だ。坂の頂上まで道はまだ続いていたが、どうやらこけおどしだったようだ。すぐにハンドルを切って、宿の敷地内へ入る。


往路ゴール。歓声のないゴールだったが、満足感に満ちていた。長かった。これほど長い道のりは過去のイベントでは経験したことがない。2010年はおそろしすぎるほど過酷なコースでの幕開となった。

0 件のコメント:

コメントを投稿